昭和の日廃案非常に残念だ
(平成12年6月8日産経新聞談話室より)

 「昭和の日」法案が廃案になり、残念で仕方がない。昭和24年生まれの私は40年間、昭和の時代を生きたことになる。勤番な日本人が、戦後どのようににして、今の日本を築いてきたかを目のあたりにしてきた一人だ。今でも「昭和」にとても愛着を感じる。

 そんな私が、1年前、「みどりの日」を「昭和の日」に改める署名運動があることを知った。私も個人的に署名を集めてみようと、すぐに実行に移した。外出用のかばんの中にいつも署名用紙を入れ、職場や家の近所で、そして遠方の友人からは電話で署名を集めた。約2ヶ月かけて、14歳から82歳までの老若男女、60余人の署名が集まった。

 署名した多くの人が「『昭和の日』の方が分かりやすくていい」と言った。「昭和を語らずして、日本を語れないですよね」といったのは、22歳の女性でした。いまなお、私はあきらめられない。(女性、51歳、会社員)

国民から「昭和の日」へのアピール
(産経新聞・談話室、平成14年1月19日より以下抜粋)
「祝日」の持つ意義を再度考える

 再び持ち上がっている「昭和の日」の論議を機会に、いま一度、年間十四日のそれぞれの祝日の意義を考えてみたい。

 次期通常国会で、現在の「みどりの日」(4月29日)を「昭和の日」に改称する祝日法改正が審議される運びになっている。この日はいうまでもなく、昭和天皇のお誕生日である。どうして「みどりの日」という意味不明の名称になったのか。

 昭和天皇がなくなられた後、この日をどうするか、国民の間で議論を呼んだ。昭和という激動の時代をいつまでも心に留めておくという意味で、祝日として残す考えは、大多数の国民は賛同していた。

 しかし、国会を通過した祝日名は「みどりの日」。どこにも時代を象徴するような意味がない、単なる記号に過ぎない名称である。時の政府が天皇制に批判的な勢力の反発を考慮して、国民の意に反した結論を出したようである。

 本来、祝日は国民がこぞってお祝いする意味のある日だ。民俗的風習や歴史的背景を必ず持っているはずだが、戦後、政治的意図が働いて、あまりに容易に名称を改正されてしまった経緯がある。祝日法には、それぞれの意義が解説されているが、その日の由来はほとんど書かれていない。

 例えば、11月23日の「勤労感謝の日」は、戦前までの旧祝日では「新嘗祭」と言われた。天皇がその年に収穫した新穀を天地の神に供え、自らも食する宮中の祭儀だが、食に対して感謝する民俗的な祈りも込められている。

 それが「勤労感謝の日」になったのは、敗戦後の占領政策の意図が働いてからであろう。こうした動機で深い意味もなく、由緒ある名称が次々と変えられていった。果たして国民が祝う気持ちになるだろうか。

 三連休を増やすハッピーマンデーの制度などでは、祝日が持つ意味の重さを失わせた元凶の一つといえる。祝日法にある「美しい風習を育てつ、よりよき社会、より豊な生活を築きあげる」とする趣旨が泣いているのではないか。(23歳、大学院生、岡山市)

今国会実現で意義を明確に

 お正月の三日間、玄関に日の丸を掲げた。幼い孫二人と記念写真を撮り、しばし昭和の時代を回顧して21世紀日本を平和と栄光を祈念した。

 昭和天皇は1901年のご誕生で、百年後の2001年にひ孫の内親王さまがお生まれになったのは奇跡的な慶事といえる。「昭和の日」を、ぜひ今国会で実現させてほしい。「みどりの日」は意義があいまいで一時しのぎの対応だった。改正で、多くの国民の胸がすっきりするだろう。

 「英邁」「果断」「無視」といった資質を十分発揮された昭和天皇。特筆すべき戦争終結のご聖断。新しい皇室の在り方もお示しになった。皇室外交の展開、美智子さまの迎え入れも、昭和天皇のご理解なくして実現し得なかったのではないか。

 昭和天皇崩御から13年が経過して、時期も良い。新しい記念日に昭和天皇を通じて20世紀を顧み、まずかった点を反省し、日本人が失った誇りを取り戻し、新世紀の決意を固める意義は大きいと思う。(67歳、団体役員、志木市)

生きた証を伝える祝日に

 消耗戦も限界に達した戦場で、命が明日まで持つまいと思っていた私は、昭和天皇の終戦の聖断で救われたと思っている。当時の軍部はもはや合理的な判断を失って、「一億玉砕」を叫ぶ者もいた。そんな暴走を食い止めた聖断だった。

 岐阜県に復員した私は、米軍占領下の日本各地を巡幸される陛下のお姿を「命の恩人」として拝した。歓迎の群衆であふれ、お道筋もふさがるほどの混雑だったが、この光景に米軍幹部も「戦後の革命はない」と判断したという。

 「雑草という名の草はない」という植物学者としての陛下のお言葉に、改めて励まされ、戦後日本の復興に微力ながら全力を尽くして生きてきた。

 もし「昭和の日」と決まれば、歴史家の評価はともかく、私たちが生きた証しを後世に伝える祝日になると、素直に喜びたい。(87歳、無職、寝屋川市)

不況回避にも制定は不可欠

 4月29日。それは今は亡き昭和天皇のお誕生日である。と、わざわざ書かなければならぬ時代となってしまった。昭和天皇崩御後も、従来通り祝日とすることは決まったが、名称については難航の末「みどりの日」に落ち着いた。

 一方で「昭和の日」を推す人々も多く、機運が次第に盛り上がって平成6年以来、熱心な運動が全国的に展開され、「みどりの日」を「昭和の日」とし、5月4日を「みどりの日」とする運動に拡大した。「昭和の日」実現を願うのは、身をていして日本に平和を取り戻された昭和天皇のご聖断とご遺徳をしのび、62年強という史上最長のご治世において、日本を世界の一流国に仕立て上げた栄光の「昭和」を国民の脳裏に刻みたいとの思いからだ。それは国民運動となって表れたが、残念ながら法案可決までには至らなかった。しかし、今や日本は深刻な不況に見舞われ、日本沈没の危険さえ議論されている。そのリスク回避の一つとして「昭和の日」実現が喫緊、不可欠だと信じる。21日からの通常国会で、祝日法改正案が上程され、可決されることを切に望むものである。(80歳、昭和の日推進ネット会長、杉並区)

連休喜ぶ前に意味を考えて

 長男が4月29日の旧「天長節」に生れたことを誇らしく思っていました。昭和20年まで昭和天皇のお誕生日を「天長節」といって、隣近所は日の丸の旗を玄関に掲げて、お祝いしていました。

 それが「天皇誕生日」となり、さらにお亡くなりになると、なんと、縁もゆかりもない「みどりの日」になってしまい、納得できませんでした。

 激動の時代を過ごされた昭和天皇を記念する「昭和の日」とする名称変更は大賛成です。

 昭和6年生れの私は、昭和とともに生きてきたといえます。平成の時代になっても、いまだに元号を昭和で数えます。今年は昭和77年なので、あのことは何年前に起きたと指を折って記憶をたどる習慣が身についてます。

 祝日を増やしたり、振り替え休日で連休にする施策は、レジャーなどに自由に時間が取れて、若い人には喜ばれそうです。ただ、お休みが続いてうれしいと過ごすだけではなく、祝日の意義も考えてもらいたいと願っています。(70歳、主婦、伊丹市)

「マレー人」の貴重な昭和史

 昭和天皇が崩御された二日後の平成元年1月9日のこと。来日した知人のマレーシア人と話す機会があった。氏は日本の陸軍士官学校や東京帝大で学び、戦後はマレーシア独立運動に参画し、上院議員となって日本との交流にも貢献していた。

 彼は私にお悔やみを述べた後、昭和天皇を「昭和大帝」と呼び、次のような話をした。大東亜戦争は世界を相手に戦ったもので、緒戦で欧米の白人勢力を追い払い、アジア諸民族は歓喜した。アジアで国家の総力を挙げて戦ったのは日本だけだったが、天皇の詔勅で戦いの矛を収めた。

 しかも、敗戦国は例外なく王制が廃止され国王は亡命か流刑されるが、昭和天皇はそうならなかった。西欧諸国は旧植民地を取り戻せず、アジア諸国は次々と独立し、日本も経済大国として繁栄した。激動の60数年間の中心にいた「昭和大帝」の役割は無視できるものではない。

 「昭和の日」制定にあたり、彼の貴重な民族体験と昭和の総括を教訓としたい。(78歳、元大学教授、世田谷区)

記念式典開く由緒ある日に

 激動の63年間を、常に国民と苦楽を共にされた昭和天皇をおしのびする日として、現行の「みどりの日」を「昭和の日」に改めることに賛成する。

 しかし、祝日に意味不明のものが多い。かねてから名称の改定、祝日の追加などの決め方に疑問を持っていた。

 例えば「成人の日」をなぜ第二月曜日にしたのか、「みどりの日」にどんな祝意を持つのか、同じことが、「海の日」や「文化の日」にも言える。合理的な説明がつかないのである。

 小中学校の教師たちは、きっと子供たちへの説明に窮しているに違いない。おそらく子供たちも何の根拠もなく、祝日を増やし続けていると直感しているであろう。

 歴史と伝統文化に裏付けされた、本当の意味の祝日ではないと、国民は祝意を持って迎えることはできない。祝日に登校させて記念式典を開けるぐらいの由緒正しい祝日の重さを求める。

 いまの祝日は国旗を掲げることにも耐えられないほど軽いもので、とても祝日に登校させるなどといった習慣は芽生えないだろう。(57歳、高校教諭、広島市)

平成生れに語れるように

 私には現在、二歳の息子と今月、生れたばかりの子供がいます。この子たちは当然、平成生れですから昭和を知りません。昭和という時代は大きな戦争もあり、敗戦とそれに続き奇跡の復興を遂げた歴史があります。私たち日本人にとって重要な意味を持つ時代だと思います。

 また、昭和天皇の国民を思われるお心やお優しい笑顔を私は忘れることはできません。

 この自分たちが生れた「昭和」という時代を毎年、一度くらいは振り返る祝日があっても良いのではないでしょうか。4月29日には平成生れの息子たちに、この日が昭和天皇のお誕生日であり、昭和という時代があったことを話したいと思います。その時、祝日の名前が「みどりの日」よりも昭和の日であれば、会話も弾むことでしょう。(33歳、主婦、習志野市)

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